top of page
検索
執筆者の写真mizuki

私のセルフケア -vol4-



続いて今日は、vol4。4つ目の今日はヴィパッサナー瞑想



思考でガチガチになっていて悩みが尽きず、生きる目的も失っていた2015年頃。

「何のためにあんなに勉強して大学入ったんだったかな」

「大切な子どもをわざわざ預けているのに、今の私のこの仕事、地球の何に役に立っているんだったかな」と、保育園の送迎2箇所と小学校1年生の送迎や管理の母業をしながら、あの時たぶん一生分の「早く!早く!」を言って子どもを急かしまくって、生きる尸状態で時間拘束労働をしてお給料をもらっていた。

 

今でこそ言葉でのやりとりが随分と可能になってきて、手加減をしてくれるようになったけれど、子どもの要求は本当に底無しで無慈悲

こっちが体調悪かろうが容赦なしで高度な要求を突きつけてくる(しかも、かなり不条理な)。当時の私にとっては何かとタフさを強いられた子どもとの時間を思えば、話の通じる大人に囲まれた頭脳労働なんて、本当に息抜きというかリフレッシュさせてもらっているという感覚が強く、きちんと働いているだけで定額のお給料をいただけて、有給休暇まである会社員は、当時の私には本当にありがたい仕組みだった。


ただ、どうしても、「今やっているこの仕事は、子どもに誇れる仕事なのか?」その問いに対しては決してYESとは言えない自分がいた。

 

忘れもしない。

3人目の妊娠中、上二人の子がインフルエンザ→水疱瘡のループとなり、一月のうち3分の1程度しか出勤できないときがあった。

その該当する期の査定面談の時に、

「実働時間が少ないので、評価の対象になりません」って。まるで育児をしている自分を否定されているような気もちになったし、子どもへの申し訳なさでいっぱいになったよね。おやすみは有給で休んでいるのに。

 

 

そんなわけで2015年の秋に後先顧みずに会社員を辞めた。

勢いでやめたはいいが、当時の私は、「働かざるもの食うべからず」の呪詛ががっつりときいていた。家で好きなことを調べたり、好きなことを仕事にしている自分に罪悪感が消えなかった。余裕のある自分を許すことができなくて、恐怖で手が震えてしまうほどに。

「こんな楽をしている自分でいいのか・・・」と、四六時中思考が走りつづけ、考えすぎて1日があっという間に終わってしまったりして。そんな私が出逢って実践するようになったのが、ヴィパッサナー瞑想

 


「瞑想は24時間365、いつでもできるんだよ」と言われたときには、

「はぁーーーー?いつもこんなにいそがしくて手が足りなくて夜寝る時間も満足にとれない私が、いつ座禅を組んで瞑想をしろと?」と思ったのはいうまでもない(笑)。

が、マインドフルネスの原型にもなったと言われているヴィパッサナー瞑想の本質は、本当に24時間365日、いつでもできるのだ。「ただ、あるがままの”私”を”みる”」ことによってそれが可能なのだから。


大きく分けて2種類に分けられ、

①サマタ瞑想

所謂「瞑想」。目を閉じて、ただあるがままの状態をみる。

具体的に最初のうちは、お腹の膨らみ、縮みだけを実況中継する。途中で思いや思考が湧いた時には、「雑念、雑念」とそれらを追い出す。

②ヴィパッサナー瞑想

起きている間いつでも可能な瞑想。①のサマタ瞑想と同じく、一つの動作へ集中するため「ラベリング」という手法を用い、自分の今行っている動き一つ一つを実況中継していく。

最初のうちは、動作一つ一つを意識してゆっくりとスローモーションで。たとえば歩いている時なら、

右足あげます→うごかします→おろします→左ありあげます→うごかします→おろします

といったように。


正直瞑想を実践するまでは、

「複数同時進行で考えながら処理し、動いている自分」は優秀だとも思っていたし(今となっては笑い草!)、なんなら子どもがいるから複数処理は当たり前だ、くらいに、また子どもを言い訳につかっていた(本当にダサい)。

 

今でも油断するとつい過去の癖で思考に乗っ取られ目の前のことをおざなりにしてしまうことがある。

そんな時にはふと我にかえって、一つ一つの動作に集中できるようまずはラベリングをする。

日常生活での瞑想をはじめると、ああでもないこうでもないと妄想したり、不安を抱えたり、目的のない思考がいかに無意味かということがよくわかる。

少なくとも私は、もう後戻りしようだなんて思わない。

 

瞑想を継続実践するようになってから、

✔︎焦りが減った

✔︎話すペースがトーンダウンして落ち着いた

 

そして、特にメールやSNSでの受発信など、人と人とのやりとりの合間には、1分間だけ目を閉じて自分の中心への戻るためにサマタ瞑想をするようにしている。1分だとしてもあるのとないのとじゃまるで違うのだから、日頃私たち現代人は、いかに思考や情報や念というものに、翻弄されているかということが深く理解できる。

 

色々なやり方があるけれど、「瞑想」の実践をなさっていない方は、この本があれば、ヴィパッサナー瞑想の基本は網羅できる。一冊もっておくこと、そして何より継続実践してみれば、やるのとやらないのとの、違いがわかることと思います。

閲覧数:110回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page