昨日近所で買い物をしていたら、こんなことを言われた。
「○○さん(私のこと)が「いい」っていうと、絶対いいんだろうなと思って、つい行っちゃったり買っちゃったりします。」
なんてありがたいことをいってもらえるんだろうな、と朝から感激。
そして私には、こう言ってはなんだが、そういっていただける心当たりがある。
それは、嘘がつけない、嘘をつかないっていうこと。
本当に心からいいと思うものしか「いい」と言わないし言えない。本当に美味しいと思うものしか言わないし言えない。言えないどころか、なんなら顔に出る。
あまりに正直であまりに饒舌だった10代の頃、親からいわれた肩書きは「ああ言えば上祐」(懐かしい。笑)
今で言うところの「忖度」ってやつですよね。相手の顔色や損得をはかって発言や態度を変えるなんて絶対にできないし、そんなことし続けていると心が腐りますよ、奥様。
「本音と建前は死語になった」って、風の時代に入ったと言われているあの頃心底思ったのだが、元々私には「本音と建前」という概念はないのかも。美味しいものは美味しいし、いいものはいい、これからも正直に伝え続ける。
その性質をもつと何がきついかって、私にとっては、会社員というものはしんどかった。
自分が「いい」と思ってないものをよく見せろといわれてもどうしたらいいかわからないし、逆に当時から好きだったアロマテラピーなぞは、日本では薬機法という大きな壁があって、効能効果は謳えないし、表現できることに限界がある。海外では薬のように使われているのですがね。
嫌われる覚悟をもって人を叱ったり「それはよくないよ、駄目だよ」って伝えるのって、ものすごくエネルギーが必要で、相手に対する愛情がないとできないこと。だから私は本音で付き合える相手としかもう一緒にいられない。
人生は、本当に短いよ。
ただ、人はそれぞれ違って「合う」「合わない」といったものが存在する訳で、感性の違いを否定するつもりはない。例えば私は○クドナルドのハンバーガーは食べられない。13年前くらいに訳あって食べたらとんでもない事になったから、私には合わない、と思っている。「ああ言えば上祐」だった私が大人になって手にしたもの、それは調和的な生き方と伝え方。
今日も純度高めに自分に存在する本音という名の本当の音を響かせて生きていこう。
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