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執筆者の写真mizuki

「祈り」って本当に素敵なことなんだ

もうすぐ中2になる長女は昨年の春から、縁のあったミッションスクールに通っている。

学校のある日は、毎朝礼拝からはじまり、食事の時にも祈りがあり、1日が礼拝に終わる。




子どもの健やかな成長を思った時、偏差値が高いとか名のある学校に通っているとか、どんなにお金をもっていて物質的に恵まれているとか、そんな肩書き・付属物的なことより私は、身近にいる人々がその子に愛をもって接することができたかどうか、が一番の滋養であり礎になると思っている。

(逆説的かもしれないけれど、辛い経験や苦しい出来事も、長い目で見れば生きゆくバネや土台にすることだってできる。そのことに気づくのは大人になってからかもしれないけれど)

とはいえ、平日の半分を過ごす学校や自分の所属する組織って、本当に大切だなぁとは思う。


私は特定の信仰はないけれど、幼い頃から教会や寺社仏閣に強い興味を示し、近所を歩くシスターを見かけると、とても敬虔な気持ちになったものだ。 目には見えないけれども、確かにそこにある存在に、強い憧憬の念を抱いたのだった。



遡ると、彼女が小学校高学年時はかなりの反抗期で、母である私もぶつかったり、不条理な発言に激昂したりやさぐれたりともうどうしようもない状況だった。それが、中学に入学してからというもの、すごく穏やかになり、情緒が安定し、頻度は高くないものの自ら率先して「洗濯干しておこうか?」「今日のお弁当は美味しかったよ」などと、声をかけてくれるようになった。


そんな娘が持ち帰ってきた1年生最後の作文を読んで、細かな表現方法等は気になるものの、内容としてはとても感動して、何度も何度も読んでしまう。(「学校に提出しないとならないから早く返して!」と、言われるが。苦笑)

一文だけご紹介すると、

「私にとって礼拝とは、自分の心と向き合って心を静める時間です。朝、礼拝して心を静めると気持ちよく一日を迎えることができます。」


この一文を読んで、中学入学してから彼女の情緒の安定感の理由に納得し、校風がとても合っているんだなということを、とても嬉しく思ったのだ。



「祈り」は、宗教や信条、人種の垣根を超えて万人に開かれている。

先にも言ったように私自身も特定の信仰はないけれど、私達一人一人が「神の子」であり、神を内包する愛そのものだと思っている。


今、世界中で大きな分断や諍いが起きているけれど、何は無くとも、何ができなくとも、祈りがあるし、祈ることができるよ。

まずは祈りを通した自分の心の平穏と平和からはじめることが、とても大切なことだと思う。


いきとしいけるものが幸せでありますように。

私が好きで事あるごとに唱える、ヴィパッサナー瞑想の慈悲の瞑想はこちらより


この香りのブレンド、その名も"INORI"は、母と子、無限につながる命の循環をおもって調香。祈らなくても祈りがおこってしまう、そんな香り。もちろん日頃の祈りのパワーを高めるのにも、とてもオススメの香りです。



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