苦しんでいる人をみると放っておけなくなる私がいる。
空気の読めない人をみると腹が立つ私がいる。
昔から、身近に困っている人や苦しんでいる人をみると、
胸が締め付けられてどうしようもなくなる。
その苦しみに、自分が持つものとリンクするものがあれば勝手に我が事のように共鳴を起こし、「何か私にできること、助けられることはないかな」と、全身全霊フル稼働して自分にできることを差し出す。
それは、過去生に拠る特性なのかもしれないし、生い立ちによるものかもしれない。だからこそ、自分の身を滅ぼす、犠牲に傾くまで「やりすぎない」ことを意識的に頑張っている。
時折失敗も交えながら。
一方で、自分勝手な人や空気の読めない人、ワガママな人に触れると、無性に腹が立つ。
「なんでここで空気を読まないんだ」
「なんでこんなに馴れ馴れしいんだ」
「なんでそんなにトゲのある言い方をするんだ」
「なんでそんなに図々しくできるんだ」
「人の気持ちを考えろ!」
・・・枚挙に遑がない。
放って置けない私と、怒る私。
全く異なる面を見せているようで、根っこはどちらも同じ。
こうして、感情が反応するトリガーに秘められた理由は、自分の中で、ちゃんと気づいている。
人の痛みや苦しみが手にとるようにわかったり、押し殺して我慢してきた言葉や思いの数々は、小さかった私が「○○して欲しかった」痛みや哀しみであり、感情が反応したその瞬間こそ、その怒りや蟠りを気づきと愛に変えるチャンスでしかない。
香りは、考えなくたって、一嗅ぎするだけで自然と涙が出たり、必要な感受が起こるからこういう時にとても便利。 そして「苦しい」と感じたり、「怒り」を覚えた時、それらを愛へと変換する私なりの魔法がある。
「私に気づきを与えてくれて、ありがとうございます」。
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