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執筆者の写真mizuki

手料理という魔法がある

外食や買ってきたお惣菜の食事が続くとすごく疲れる。

元々、空腹にあまり左右されないタチだし、1日1.5食くらいで足りてしまう。そして、ちょっと食べるとすぐ太る=燃費がいいもので、「カロリーで損(美味しくないものや心が喜ばないものは身体にいれたくない)したくないなぁ」と、ある年頃からずっと思い続けている。

更には、胃袋のキャパが、年齢を重ねると共に比例して、縮んでくることを実感しているのだもの。


朝からご飯を食べ損ねていたある日、自分の食べたいお料理ストックも冷蔵庫になかった。

小腹が減ったな、とナッツやお煎餅をパリポリするも、なんだか力が入らないし心が満たされない。

そんな時は、手料理をいただくのが一番。冷蔵庫にあった野菜やハーブと合わせて、キヌアとレンズ豆のサラダをつくって、ここ最近ハマっている、カレーストックも拵えた。

終わらない洗濯に洗い物。

夕方以降は席につくのも惜しいくらいに家事が大量にあるけれど、子どもたちがいつものお子様ランチのようなご飯を食べているのと同じ食卓で、私は自分が今食べたいな、と思うものだけを作ってぎゅっと集めたご飯をいただいた。

すっと何かが満たされ、整った。やっと落ち着いたのだった。

やっぱり手作りって凄い。

心をこめ、手を掛けるお料理は、その行為そのものが魔法となるのだ。


以前、氣のマスターである恩師に教えてもらったことのひとつに、

「食べ物も、自分の波動に変えてからいただく」ということがあった。

いつの頃からか、オーガニックとかそういったものに拘りがなくなって、肩の力が抜け、「こうでなければならない」という思考からもすっかり縁遠くなった。

だって、自分がいい状態でありさえすれば、心を込めて向き合うもの、創造するものに、どんな魔法をかけることだってできるのだから。


赤ちゃんの頃から味に煩い長女は、未だに美味しくないものは食べない。

彼女は買ってきたお惣菜の餃子は嫌いだが、私がつくった餃子だと、大判サイズなのでかなりの大きさがあるのに、一人で10個近く食べる。

確かに金子製麺というお気に入りの製麺屋さんのとっても美味しい皮をつかっているけれど、私はよく餃子を焦がす。

そんな適当な料理なのに、

「あー、ママの餃子は美味しいなーいっぱい食べちゃうなー」

って。肉男の長男とともに。

嬉しいじゃないか。





プロセスの多い料理は心や時間に余裕のある時にしかつくらないことにしているけれど、大判サイズの餃子を今の40個から1袋増やした60個に増やす日もそう遠くはないだろう。

お世話になっている友人がオーナーをするカフェで先日、彼女のつくってくれたお料理をいただく機会があって、それはそれは例え様のないほどに美しくて、美味しくて。

そのことを、その場でいただいていたみんなが一様に口にしたら、

「なんか魔法かけちゃうみたいで」と言っていた。


やっぱりそういうことなんだよな、と実感したのだった。次回は彼女のお店について紹介したいと思う。

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