同調圧力に弱くて、人の眼差しが気になってしまって、授業中にもなかなか挙手したり発言したりができない。
そんな内向的な長女をみていて、ずっとヤキモキもどかしいな、と思っていたこの数年。
新しい環境に身を置いてまだ2週間と少しだけれど、
毎日毎日、僅かだけれども確かな成長の姿を見せてくれていて、そんなちょっとした姿が、親として眩しくてとても嬉しくなる。
彼女がこの春入学した中学は、制服がなくて私服。
「肌を過度に露出しない」「ズボン着用時には踝まで隠れるもの」「サンダル禁止」など、ある程度のドレスコードはあるものの、そのわずかなルールにそれなければ、何を着ていってもOKなのだ。
この2月に最終的な進学先を決める際、他の学校からもご縁をいただいていたものの、「この学校でいいのか?」と後押ししてくれた塾の担任の先生の一言がとても印象に残っている。
「私としては、彼女にはあの学校の「自由」というものの厳しさ、「主体性」ということの難しさに身を置いて、彼女の苦手とする主体性を強制的にどんどん磨いていって欲しい」
そう、担任として1年半の間娘と接してきた中での、彼女の「勿体なさ(課題)」が成長に変えられるチャンスになるのではないか?と、伝えてくれたのだ。
この4月から、きっと娘は毎朝起きて、「今日は何を着ていこう?」にはじまり、朝から夕方まで丸一日を過ごす学校でも、その"主体性”「私は、どう思うの?どうしたいの?」ということが、日々試されているんだと思う。
昨晩のこと。
娘:「明日は礼拝があるから式服で来てくださいって先生に言われたから、ブレザー出しておいてもらえるかな? そうだ、、式服っていうことは、マスクも白のほうがいいよね、、」
私:「いや、入学式の時、挨拶をしてくれた高校生の生徒会長の女の子は、式典だけれど黒いマスクしてたよね。そもそも、黒いマスクって失礼なのかな?白じゃなければいけないっていうルールはないんじゃない?」
と、私の考えを伝えたところ、その場では特に返事はなかったものの、
今朝送り出す時にふとみたら、いつものグレーのマスクをしていた。
あー自分でちゃんと考えて、答えを出したんだね。
この数年は何をいっても反発されてばかりでついぶつかってしまうことが多かったけれど、母としてはそんな成長がとても嬉しくて、じんわり。
そしてそんなマスクですが・・・・。
以前も書いた通り、マスクの効果の程は私は専門家ではないので何も語りませんが、一個人の体感として。
時折マスクを長時間つけることがある日は、着用して数時間した頃から頭が痛くて痛くて・・・本当に苦手。。故に、コロナが怖いからではなく、マスクが苦手という理由で、ドレスコードマスクの伴う外出は極力最低限にしている。
個人的にはコロナより、日常的なマスク着用による酸素不足の様々な弊害の方が、よほど不健康に感じて恐ろしい。
ちょうど今朝、Facebookでフレンドのpostをみていたら、マスクによる不調がNHKの「あさイチ」で放映されていたと。
曰く、マスクによる頭痛を訴える人が増えているそうで。理由としては、自身の排出した二酸化炭素を吸い込むことで血管が拡張することによって生じると、放映されていたそうです。
早くマスクのない世界へ戻って欲しい。
と願うと同時に、ドレスコードにしたがって生きるなら、せめても家にいる時はしっかり呼吸ができるようにたくさん笑って、深く呼吸して。そんなリラックスできる家であることが、何より大切だな、と痛感するのです。
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